アメリカ合衆国、通称アメリカまたは米国は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国。
1776年に独立した世界史的に見て比較的新しい人造国家の1つである。すなわち、独立宣言において全ての人民の権利と平等をうたい政府をその保障手段と明確に位置づける等、奴隷制のような矛盾を抱えつつも単一民族を基盤とする国家ではなくロックらの人権思想を理念的基盤として歩んできた国家である。少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外のほとんどの国民が、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から奴隷貿易によって強制連行された者の子孫である。このため、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。資本主義、民主主義、共和制、大統領制、二院制を採用している連邦国家の1つである。
国土としては、北アメリカ大陸中央部の大西洋と太平洋に挟まれた本土以外に、大陸北部のアラスカ、太平洋のハワイ諸島、アリューシャン列島を有する。さらに本国の他に、プエルトリコやグアム島などを領有する。北はカナダ、南はメキシコと隣接、西は海上にてロシアと接する。50州、1特別区からなる。その領土の大半は先住民や他国から搾取あるいは奪い取ったもの、戦争で併合した国土、他国を併合した国土である。
イタリア人のクリストファー・コロンブスはスペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国の発見を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。 その後、イタリア人のジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスがニューイングランド植民地の領有を宣言した。その後フランス人のジャック・カルティエがセントローレンス川を遡り、その一帯をフランスが領有化するなど、ヨーロッパ人による南北アメリカ大陸の探検と開拓、そして先住民の放逐と虐殺がはじまった。彼らは「明白な天命」をスローガンに奥地への開拓を進め、例え貧民でも自らの労働で土地を得て豊かな暮らしを手に出来るという文化を形成して「自由と民主主義」理念が米国の基礎となる源流を形作っていった。またその成功が誇張も含めて旧大陸に伝わり、さらに各地からの移民を誘発する事ともなった。それは同時に先住民であるネイティブ・アメリカンを虐殺、追放して彼らの土地を奪っていったことも伴っている。
冷戦においては、ソビエト連邦を盟主とする共産主義陣営に対抗する資本主義陣営の盟主として、西ヨーロッパ諸国や日本などに経済支援や軍事同盟締結などで支援し、ベトナム戦争やグレナダ侵攻など世界各地の紛争に積極的に介入する。それは一般に「自由と民主主義の保護」を理念として掲げているが、単純な国益追求が実質的な目的であったり、場合によっては実際の実力行使が理念と矛盾する事態すら引き起こした。特にベトナム戦争への介入は西側、東側諸国を問わず世界的に大きな非難を呼び、あわせて国内世論の分裂を招いた。また、単に「反共産主義的」であるという理由だけで、アジアやラテンアメリカ諸国をはじめとする世界各国の右派軍事独裁政府を支援し、特にラテンアメリカ諸国の軍人に対してはパナマの米州学校で「死の部隊」の訓練を行なった。こうして育てられた各国の軍人は母国で右派クーデターを起こし、その結果、それらの国の国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となった。同時に、大戦の後遺症に苦しむ西欧諸国や日本、韓国、台湾など同盟国への支援と安全保障の提供は、急速な経済成長をもたらす一因ともなって東側との大きな生活水準格差をうみだした。これは後の東欧革命の原動力の一つになったといえよう。
また、長引く冷戦時代を通して軍部と軍需産業を中心とした経済界が結びつき「軍産複合体」を形成し、アメリカの政治、経済、軍事政策に深く関わる構図も生まれた。アメリカの、戦争を止められない、こうした性質を揶揄して「戦争中毒」と呼ぶ論調も存在する。
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